徒然なるままに~人生三角折主義~

あくびしてる猫の口に指突っ込むときくらいの軽い気持ちで見てください。

ムスクの香りはほうじ茶に溶ける

今週のお題「最近おいしかったもの」

ここ数年、コーラなどの炭酸系の飲み物がダメになった。

ダメになった、というか、ペットボトル1本飲めなくなった。500mlはもちろん、350mlも飲めない。あのかわいいサイズのFANTAとかも飲めない。老いと言えば老いなのだろう。

それに台頭した飲み物が、ほうじ茶である。ペットボトルのほうじ茶。やたら美味しく感じる。昔はそれほど人気があったように思わないのだが、今は綾鷹からお~いお茶から伊右衛門から、どのブランドでもほうじ茶を販売している。私のお気に入りは伊右衛門

最近、ペットボトルではなくティーバッグのほうじ茶を見つけた。こちらは伊右衛門ではなく、お~いお茶からのスピンオフなのだが、これも充分にうまい。

話は変わるが、最近100円ショップで輸入物のお香を見つけた。大きく「MUSCHO BIANCO」と書かれたメードinムンバイのお香。円錐型のお香に火をつけて吹き消すだけで、異国の香りが部屋を包む。

このムスクの香りに大いに癒されているのだが、どうも湯呑の中にこのムスクが溶けるらしく、せっかくのほうじ茶がほんのりムスク味になってしまう。目下の悩みである。販売元に文句を言いたいところだが、ムンバイにほうじ茶は無いだろうから仕方がない。

ところでMUCHO BIANCOのビアンコ、はボンゴレビアンコのビアンコと何か関係があるのだろうか。

2019年3月2日からの明けましておめでとう。

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 この文章は2019年3月2日23:45分現在、したためており指定日時予約投稿機能を用いて投稿しております。こちらの状況は「あいみょん人気沸騰」「オードリーANN10周年武道館イベントに絶賛の声」「ミルク・クロコップ引退判明」といった感じです。

 私の予測ではこの記事が投稿された時、きっと第三次世界大戦が勃発しており、世界の人口は1/3にまで落ち込んでいるでしょう。さらに火星人の襲来、AIの暴走、misonoさんのやめるやめる詐欺などで世の中はしっちゃかめっちゃかだと思います。

 それでも2024年に少しでも多くの人が幸せでありますように。祈りをこめて今予約投稿のボタンを押したいと思います。それでは、ごきげんよう

カノイネン連のふたり

さとう、舞台中央で正面を向き胡坐をかいている。目をつぶり思案顔。

よしだ、舞台上手から登場。

よしだ「うぃーっす、ごめん遅れて、ちょっとバイパス混んでてさ、ん、何やってんの?」

さとう「あぁ、今、…考えてる」

よしだ「考えてるって、何を?」

さとう「え?いや、何をっていうか、ただ考えてる。」

よしだ「だから何をって」

さとう「いや、だから、何をってことはないんだよ。ただ、考えてる」

よしだ「はぁ?考えてるってことは"何かを"考えてるんだろ?教えろよ。」

さとう「…」

よしだ「あ、わかった、なんかエロいこと考えてたんだろ?だから答えられなんだろ、おい、え?そうなんだろ?親友の俺にも言えないレベルのエロいことってなんだ?答えてみろ?」

さとう「違うよ、うるさいなぁ。ちょっと黙ってろよ。」

よしだ「黙ってろって?…"何を"黙ってればいいんだ?」

さとう「…はぁ?」(よしだの方を向きながら、顔をしかめて)

よしだ「だから、黙ってろって言うけど、"何を"黙ってればいいんだ?」

さとう「…いや、"黙る"に"何を"も何もないだろ、ただ、黙ってろって言ってるの。」

よしだ「ただ黙ってろってそんな横暴な。"何を"考えてるかも教えないんだから、"何を"黙ったらいいのかくらい教えてくれよ。」

さとう「…じゃあ、"お前を"黙ってろ。」

よしだ「よしわかった。"俺を"黙ればいいんだな?」

よしだ「……」(変な顔で)

さとう「今まで入力したことのない指令文を実行したせいで、顔面にバグが発生してるぞ」

よしだ「っつーかこんなこと話してる場合じゃないだろ?今日は来週の熱海合宿のスケジュール詰めに来たんだから。行きたいとこ、見当ついてるか?」

さとう「あぁ、ごめん。俺、行けなくなった。」

よしだ「はぁ?!なんでだよ、三ヶ月前から一緒に行こうって約束してたじゃねぇかよ。」

さとう「俺、彼女できた。」

よしだ「はぁ?!彼女?!お前そんなこと一言も言わなかったじゃねぇか」

さとう「そりゃ、こんなこと言ったらお前が怒るのわかってたからさ。」

よしだ「当たり前だろ!俺たち"彼女いない歴=年齢連合"、略してカノイネン連の会員として、彼女ができたなんてのは裏切りだよ!」

さとう「だから言い出せなかったんだよ!カノイネン連の面々に合わせる顔が無くて」

よしだ「面々っていうか、メンバーはお前と俺しかいないから、俺だけだけどな。面々っていうか、面だけどな。」(自分の顔を指しながら)

さとう「…うん。」

よしだ「…うん。んなんだよー。それじゃ当然合宿も中止だよなー。もっと早く言ってくれよー。」

さとう「本当、ごめん。」

よしだ「えっ!ていうか、相手、だれ?」

さとう「バイト先に最近入ってきた女の子。」

よしだ「バイト先って、例の害虫駆除のバイト?」

さとう「そう、害虫駆除」

よしだ「バイト先は男ばっかだって言ってなかったっけ」

さとう「つい半年くらいまえに入ってきたんだ。それから一緒に蜂の巣とか取ってる内に段々仲良くなって、先月、告白された。」

よしだ「数多の害虫の命と引き換えに、お前は一人の女を手に入れたってわけか。」

さとう「そんな言い方するなよ」

よしだ「巨大蜂の巣に挑むドキドキ感が、吊り橋効果の役割を果たしたってわけか。」

さとう「それはわかんないけど」

よしだ「害虫駆除が早くチューしようになったってわけか。」

さとう「全然上手くないよ、それ。」

よしだ「うるせー!うるせー!なんだよ同じカノイネン連の仲間だと思ってたのに。お前は彼女いない歴=21歳7か月で記録打ち止めじゃねぇか。俺は現在進行形で記録更新中だよ!馬鹿にしてんだろ!」

さとう「そんなことないよ」

よしだ「あーわかった!さっきもお前、彼女のこと考えてたんだろ!だから何を考えてるか答えられなかったんだろ!」

さとう「違うよ。あれはただ、本当に、考えてただけなんだ。」

よしだ「もういいよ!帰る!」

さとう「おい、待てよ!」

よしだ「…あ、最後に一個だけ質問。お前、彼女ともう、"した"のか?」

さとう「"した"って、"何を"?」

舞台暗転

動物園

 「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

偶然耳にしたこの言葉が、男の脳内で反芻される。

 「お母さん、猿なんて見ている場合じゃないよ。」

 

電車を乗り継ぎ、少し歩くと開けた土地に動物園のゲートが見えた。男はこの休日を動物園で過ごすことに決めたのだった。仕事の都合上、男は平日休みが多い。来園者の少ない平日の動物園は男にとって唯一の癒しであった。

 入園ゲートを年間パスで通ると、初めに見えるのはサイだ。サイの硬そうな皮膚に男は目を奪われる。

 平日の動物園に来るのは、幼い子供連れの母達が多い。あるいは暇を持て余した高齢者。大学生らしきカップルもちらほら見かける。一人で来ている人はたいてい片手に本格派のカメラを携えているが、男は常に肉眼を通した。

 男は、サイに始まり、カンガルー、バク、ペリカンといった二軍選手を見ていった。エミューに至っては三軍だ。そしてゾウ、キリン、ライオンと花形選手を見終えると日本猿が姿を現した。

 日本猿エリアには地上から数メートル高く、幾本かの木製の柱が建てられており、そこにネットやロープが張り巡らされている。来園者たちはその柱を少しずつ上る小さなニホンザルに目を奪われていた。

 男もまた、その様子を眺めていた。その傍らにはゴリラコーナーを紹介する看板が立てられており、それを一人の、4,5歳ばかりであろう女の子がじっと見ていた。すぐ横にいる母らしき人物は私たちと同様、猿を眺めている。

 しばらく看板を眺めていた少女はその母らしき人物に向かってこう言ったのだ。

「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

 

その後、ゴリラを見ても、カバを見ても、ペンギンを見ても、男の耳からその言葉が離れることは無かった。

「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

何がどうとはわからないが、男の頭にこびりついて離れないその言葉。

「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

家に帰ってからも、脳内でリフレインする。

「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

それから一晩経っても、二晩経っても、少女の幻影は呼びかける。

「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

 

「お母さん、猿なんか見ている場合じゃないよ。」

一週間目の夜、男は発狂した。

当たるモハッケ、当たらぬモハッケ

 「当たるモハッケ、当たらぬモハッケ」という言葉がある。この「モハッケ」とは何だろうか。ものの本によると、「アアタにアンダとパーニィを混ぜ、刻んだゴウビィとスアルカァマスと共に焼いたもの」とある。

 さらに詳しく調べると特に西部で盛んに見られた文化で、その伝統は古く、起源は17C末にまで遡るという。正確な発祥地を特定することは難しく、複数の土地で同時期に考案されたと考えられている。

 そのうち代表的な人物がヤァ・チャバルカキット・ヴィングである。街の片隅で八百屋を営んでいた彼女は、ある偶然によってモハッケを開発した。

ある日のこと、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングが働く八百屋に旅の者が現れた。長旅の果てに、食べるものもなくこの街に行き着いたというこの旅人はひどく腹を空かしていた。しかしヤァ・チャバルカキット・ヴィングは貧しく、食糧庫にはアアタとスアルカァマス、一つのアンダそして売れ残りのゴウヴィしかなかった。そこでヤァ・チャバルカキット・ヴィングはこの材料を活用し一品の料理、のちのモハッケを作ったのだ。旅人はこのような食べ物はどこの国でも食べたことがない、と言い、とても喜んだ。これを契機にヤァ・チャバルカキット・ヴィングはモハッケを提供する飲食店をはじめた。この新しい食べ物は人々の心をとらえ、店は大繁盛。一代にして莫大な富を気づいたと言われる。

実はここに「当たるモハッケ、当たらぬモハッケ」という言葉の由来がある。

 時を同じくして、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングの住む町から西に二十里、サムドゥルダット・スンダルタ・レヘルという女が住んでいたという。偶然にも、彼女もまた八百屋を営んでおり、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングと同じように貧しかった。そしてこれもまた同じように彼女のもとに旅人が現れ、そして同じように、彼女は僅かな食糧からモハッケをふるまった。旅人は喜び、街を去った。そしてヤァ・チャバルカキット・ヴィング同様、サムドゥルダット・スンダルタ・レヘルはモハッケ屋を始める。しかし、ここから話が変わってくる。レヘルがモハッケ屋を開店してまもなく、この街ではゴウヴィを用いたもう一つの料理、アナンタ・ゴウヴィが空前のブームを起こした。そのため、モハッケに必要なゴウヴィが手に入らなくなってしまったのだ。かくして、レヘルのモハッケ屋は閉店に追い込まれた。

 全くと言っていいほど共通したシチュエーションで、それぞれに独立して生まれたモハッケ。しかし一方は成功をおさめ、一方は失敗に終わった。このことから「当たるモハッケ、当たらぬモハッケ」という言葉が生まれたのだ。最後に、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングが晩年に残したある言葉を示しておこう。

 「人生において嫌でも前を向かなければならないとき、一枚のモハッケが道を照らすだろう。戦うのだ。モハッケよい。」(ヤァ・チャバルカキット・ヴィング)

 

タコを助ける男

 男が住んでいる家の近くには小さな川が流れていた。男は出勤するときも帰宅するときもこの川に沿って歩かなければならなかった。

 それは東京に初めて雪が降った日のことだった。男は仕事を終え、寒空の下、家路を急いでいた。男は傘を忘れたために、冷たい雪を防ぐことができなかった。だからより一層、脚を速めた。

 男がいつものように川に沿って歩いていると、川べりに一匹のタコがいるのが見えた。タコは、その身の上に真白な雪を積もらせ、すっかり凍えていた。もとより親切なその男は、タコを可哀そうに思い、鞄の中にあった水筒から、のこりのお茶を棄て、空になったものをタコのそばにおいてやった。するとタコはすぐに水筒の中に入った。

 また、しばらく川に沿って男が歩いていくと、そこまたタコがいた。しかも今度は三匹だ。そして皆、同じように凍えているのであった。これもまた不憫に思った男は自分のカバンの中身をあけ、空になったカバンをタコのそばにおいてやった。するとタコはすぐに鞄の中に入った。そして残りの二匹には自分の履いていた革靴を一つずつ与えてやった。

 男は足の裏がひどく冷えるのを感じながら、またしばらく歩き、あと一息で男の家に着くというところまできた。しかし、その川べりにまたもタコがいるのであった。そしてやはり凍えているのである。男は困ってしまった。水筒も、鞄も、靴も、タコが入れるものは全て与えてしまっていたのだ。それでもこのタコだけを見捨てるわけにはいかないと、男は自分の体をタコのわきに横たえ、大きく口を開けた。するとタコはすぐに男の口の中に入ったのだった。

 そうして男は死んだ。五匹のタコを助けて男は死んだのだ。このお話にはこのような意味が込められている雪の日にタコに出会っても「放っておく」と「パス」(通過する)が重要だとね。

ドライブと音楽。

ドライブはしない。音楽は聴く。このお題が「ドライブや音楽」だったら音楽だけの話をしてもいいのだろうけれど、「ドライブと音楽」だからそれは駄目なんだろう。

 

ドライブをするとしたら何を聴くだろうか。自分の一番好きな歌がいい。となると森田童子の「ぼくたちの失敗」だが、なんだかあまり似つかわしくない気がする。同じく森田童子の「たとえば僕が死んだら」、「みんな夢でありました」なども好きな曲だがドライブとは食い合わせが良くない。徒歩でとぼとぼ聴きたい感じだ。

 

車にまつわる曲がいいのかもしれない。最初に思いついたのは山口百恵の「プレイバックPart2」。しかし、私が真っ赤なポルシェに乗ることは生涯ないだろうし、ましてこの曲は交差点で何やらトラブルを起こす曲だ。ドライブに適している感じでもない。

 

ほかに車に関係した曲。タイトルに「車」が入っている曲と言えば高田渡の「自転車にのって」が思い浮かぶが、言うまでもなく却下だ。THE虎舞竜の「ロード」も車関係と言えばそうだが、その歌詞の哀しさから、泣いてしまうと運転に支障が出る。さだまさしの「償い」もある意味、ドライブにまつわる曲だし、改めて注意深い運転をさせてくれそうだが、これもまたそういうことじゃないのだろう。

 

角度を変えよう。条件を考える。運転中であることから、眠くならない事。爽やかで楽しい雰囲気である事。同乗者がいた場合、皆が知っている事。

 

これらを満たす曲と言えば、一つしかない。吉幾三のワークマンのCMの曲だ。ドライブのお供は吉幾三のワークマンのCMの曲で決まりだ。みんなが知ってる吉幾三のワークマンのCMの曲。

 

ドライブでいこうみんなでワークマン。

 

カエライフ×はてなブログ 特別お題キャンペーン #ドライブと音楽

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by ホンダアクセス