徒然なるままに~人生三角折主義~

あくびしてる猫の口に指突っ込むときくらいの軽い気持ちで見てください。

読んだことない、尾崎紅葉。

今週のお題「紅葉」

 尾崎紅葉は読んだことがない。それどころか、今調べてみるまでずっと女の人だと思っていた。どうやら違うらしい。本名は徳太郎という事だ。おそらく、男だ。

 なぜ、女の人だと思い込んだのだろう。山村紅葉のせいだろうか。いや、だが、山村紅葉は女の人であっていただろうか?おそらく、そうだと思うが、尾崎の例からして自信はない。

 「紅葉」というものそのものが女性らしい印象があるのは間違いないだろう。赤や橙に染まった木々の暖かさや安心感は女性的だ。

 尾崎紅葉に話を戻そう。いや、読んだことがないのだから、話すこともないのだが。

 Wikipediaを見ていたら、「山田美妙らと研友社を設立し……」とあった。ぱっと目にした瞬間この「山田美妙」なる人物を女性だと思ってしまったのだが、この方もまた男性であるという。そもそも私の頭に浮かんだ読みは「やまだみさ」であった。しかし、「沙」ではなく「妙」。「やまだびみょう」と読むのが正解であった。

 どうもこのあたりの人物は名前の印象と実際の性がズレる。

 再び、尾崎紅葉。代表作は「金色夜叉」。名前くらいは聞いたことがあるが、どちらかといえば「犬夜叉」の方がなじみがある。ただ、こちらも読んだことは無い。

 高橋留美子作品で知っているのは、「らんま1/2」くらいだ。夕方の再放送の枠で放送していたのを見ていた。女らんまや他キャラクターの裸シーンにドキドキしながら見ていた。

 尾崎紅葉は37歳の時に胃癌でこの世を去ったという。紅葉が散るには早すぎる年齢だ。そういえば同じ苗字の尾崎豊は26歳で亡くなっている。尾崎紀世彦氏は肝臓癌で69歳の時に逝去された。一方、同じ尾崎でもジャンボ尾崎氏は72歳にして現役バリバリである。

ムロオの成長

今週のお題「〇〇の成長」

 2000年、12月31日、世紀末中の世紀末に生まれたムロオは超未熟児として生まれた。当時はいつまで生きられるかさえ分からない状況だったが、医者も目を瞠るほどの驚異的な生命力で、すくすくと大きくなった。

 生まれて一年が経った頃にはすでに健康そのもので、かえって平均よりも体は大きいくらいであった。

 それからさらに一年が経ったとき、つまり二歳の誕生日。ムロオの両親はムロオの体に小さな二つの痣があるのを見つけた。それは、ムロオの背中、肩甲骨のあたりに左右対称にあった。

 不審に思った両親は、ムロオを病院に連れて行ったが、原因は不明とのことであった。とはいえ、現時点で特に問題なしということもあり、しばらく様子を見る事にした。

 それから毎日、両親は痣の様子を見続けた。一か月ほど経ったあと、両親は痣のあたりに白い産毛が生えていることに気が付いた。両親はそのことを医者に話したが、やはり原因はわからなかった。

 日を経るごとに産毛は濃くなっていった。両親は心配な眼差しでそれを見つめながら優しく撫ぜた。そのころムロオは初めて「ママ」と言葉を発した。

 痣が白い毛に覆われたころ、両親はその中に突起があることに気が付いた。両親はそのことも医者に話したが、原因はわからなかった。

 日に日に大きくなっていく突起はやがて、平たい面を持ち始めた。ちょうど耳のひだのような感触である。その頃になって、両親は気が付き始めた。これは羽だ。天使の羽のようなものが徐々に徐々に生えてきているのである。

 ムロオが3歳になり、様々な言葉を覚えるようになったころ、それは完全な羽になった。白くふわふわとした毛に覆われた、人間にあるはずのない一つの器官。レントゲン写真には骨が通っているのが見えた。

 そのころ、ムロオの様子を見に、何人もの医者が訪ねた。こんなことは前代未聞であると彼らは口をそろえた。新聞にも取り上げられ、ムロオは「天使の子」として有名になった。

 両親はそのような事態に面食らいながらも、どこかで喜びを感じていた。あれほど弱弱し気に生まれてきた我が子が今では普通の子以上の体を手にし、人々の注目を集めている。そのことが誇らしくさえ感じられた。

 ムロオはCMに抜擢され、企業のイメージキャラクターにもなった。ランドセルもチョコレート菓子も飛ぶように売れた。それと同時にムロオも飛ぶようになった。今ではすっかり大きくなった(それでもムロオの顔くらいであるが)羽を、細かくパタパタと動かすことで、体がふわっと宙に浮くのだ。宙に浮いてからも動かし続けると、体は高度を上げ、スピードも出てくる。

 それからというもの両親はムロオが飛んでいかないように常に気を配った。外に出るときはしっかりと抱き、歩かせるときにはひもを繋いだ。

 ある時、母親が庭のベランダに洗濯物を干していた折に玄関チャイムがなった。ムロオは積木で遊んでいた。金木犀の香りが鼻孔をくすぐり始めた初秋、気が抜けていた。窓を開け放したままその場を離れてしまったのだ。

 すぐに気が付いた母は大急ぎで階段を駆け戻ったが、すでにそこにムロオの姿はなかった。お城の形に積まれた積木だけが、窓からの日差しに影を作っていた。

 その後、ムロオの捜索は大規模に行われた。警察はもちろん、市民の協力も手伝い、延べ1万人が一週間以上ムロオの名を呼び続けた。しかし、2019年11月現在、ムロオは見つかっていない。

 ムロオが生きていれば彼は今年で19歳になる。彼の背中にはまだあの天使の羽が生えているのだろうか。

 

夕暮れを苛む

 徹夜明けの咽喉の痛みを食い破りながら、男はドアを開けた。真夏のうでるような暑さが全身を包む。男の顔が歪んだ。

 古いアパートの階段を降りると、一匹のネコが座っていた。薄汚れているが、体はずんぐりと太っている。通りすがりに餌を貰い貰い生きているのだろう。男が近づくとネコは逃げた。思いのほか軽やかな身のこなしであった。

 男が商工会議所のデスクに着いたのは9:30のことであった。今日は会議が入っている。

「お、林君、今日は早いじゃない。」

 汗に濡れた頭皮を光らせながら、山田が声をかけてきた。曖昧な返事をすると、彼はつづけた。

「昨日さ、僕、凄いもの見ちゃったんだ。」

「え?凄いものって?」

「UFOだよ、UFO。」

 爛々とした目で語る山田は真剣な様子であった。五十にもなる男が真剣にUFOの目撃談を語る様は滑稽でもあった。

「UFOですか?」

「そうだよ、UFO。昨日、家に帰る途中でさ、ふと空を見上げたら見つけちゃったのよ。」

「どんな形だったんですか?」

「えっとね、なんかこう四角かったな。箱型、みたいな感じ。」

「箱型のUFOなんて聞いたことないですよ。」

「でも見ちゃったんだからしょうがないじゃない。箱型のUFOがプカプカ空を飛んでたんだよ。ね、凄いだろう?」

 そんな話をしている内に会議の時間となった。

つづく。

コンビニのアイスコーナー ~「迷い」と「決断」と「アイス」と「私」と~

 コンビニのアイスコーナーは、何よりも私を迷わせる。

 第一に、そもそもコンビニでアイスを買うかどうか、迷う。一般的に言って、スーパーやドラッグストアよりコンビニの品物は値段が高い。それは大抵のものに当てはまるのだろうけれど、アイスが最も顕著であろう。スーパーで78円で売ってるものが140円も払わなければ手に入らない。ちょっと足を延ばせば78円で買えるというのに、その倍近い値段で購入することの、覚悟。それが私にはあるのか。

 その覚悟ができたとして次にくるのは、何を買うか、という迷い。まずはアイスの中でジャンルを決める。氷菓系、クリーム系、カップ系、棒系。まだそれほどの暑さではないと、氷菓系を排除。家に帰ってから食べたいから、と溶けると食べにくい棒系を排除。クリーム系×カップ系に狙いを絞る。

 店内の放送では若手芸人の賑やかなトークが流れる。店員同士の雑談が耳に障る。五十そこそこの男が脂ぎった頭皮を露わにしたまま、エロ本のページをめくる。神経が研ぎ澄まされる。

 MOW、爽、スーパーカップ、という御三家にプライベートブランド商品を含め6~7種類が候補に残った。まずは消去法。アイス界の中谷美紀、高根の花スーパーカップsweet'sがまず消える。更に微細氷を特徴とする爽は猛暑日用にと、今日のところは保留。チョコミントは苦手、プライベートブランドの内一つが消えた。

 そんなこんなで、残ったのはMOWのエチオピアモカコーヒー味、スーパーカップバニラ味の二つ。森永VS明治の因縁対決である。

 この時点ですでに入店から30分が経過している。いつの間にか店内には私と店員以外の人間がいなくなっていた。妙な静けさの中で、私はつばを飲み込む。

 まず考えるのは、今の自分の気分が、未だ食したことのない「エチオピアモカコーヒー味」にチャレンジする「冒険」なのか、お馴染みの「バニラ味」をとる「保守」なのかということである。しかし、ここにおいて、私はどちらにも傾きかねる。未知の味に対する期待と、いつも通りの安心感、どちらも同じだけ欲している。もしかしたらこの感覚は不倫に近いのかもしれない。山路徹はこんな気持ちだったのか。

 となると、次に考えなければならないのは、容量。スーパーカップはその名を名乗るだけあって、200mlという大容量。それに比べMOWは140ml、値段が140円でバランスしているだけにこの差は大きい。

 しかし一方で輝くのはMOWにおける「種類別 アイスミルク」の文字。それに対してスーパーカップは「ラクトアイス」。今回、第三者的立ち位置を取るGlicoのホームページ内の「なぜ?なに?コーナー」を参照すると、乳固形分が3.0%以上のものがラクトアイス、10.0%以上のものがアイスミルクという事だ。(さらに15.0%以上になると「アイスクリーム」と区分される。)乳固形分の含有比率の大きさはそのままクリーミーさに影響する。その意味で、よりクリーミーといえるアイスミルクのMOWに質という視点での軍配をあげたい。

 「質」を取るか「量」を取るか、という単純な問いではない。双方のバランスを考えたうえで、どちらに決断するのか。純然たる「迷い」がここにはある。

 時を刻む秒針の音が鼓膜を震わす。手汗がじんわりと浮いてくる。「総理、そろそろご決断を」と心秘書が耳に囁く。「うむ。」心で返し、僕はゆっくりと、手を伸ばす。

 家に帰り、レジ袋からアイスを取り出す。紙製のフタをめきりと開け、プラスチックの内フタをぴりぴりと剥す。露わになったクリーム色の雪面、そう、スーパーカップバニラ味である。木の匙で表面をすっとすくい、口の中へ。ほのかに溶けたその甘味にエクスタシーに似たものを感じながら、二口目を運ぶ。美味、である。

 半分ほど食べたところで蓋をし、再びレジ袋に手を入れる。取り出したのはMOWエチオピアコーヒー味。点線に沿ってぱりぱりと紙の蓋を取り、プラスチックを剥すと、うす茶色の土壌が見える。コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。一口食べるとクリーミーな舌触りに、口いっぱいにコーヒーの風味が広がる。エチオピアの風景が眼前に広がる。

 こちらも半分ほど残したところで蓋をした。残りは明日のお楽しみである。結局どちらにも決められなかった私は、両方購入し、二日に渡って消費することとしたのだ。そうすれば一日分の金額は変わらず、両方の味を楽しめる。

 何かを迷ったとき、視野を広げてみてほしい。選択肢は思ったより多い。一見、二択のようなクエッションに第三の答えを探してみるのだ。その第三の答えはきっとあなたの決断を支えるだろう。

  

迷い迷ってこんにちは。「迷い」に隠された意外な真実をここに。

 今、私の目の前には壁に張り付いた一匹の蜘蛛がおります。その蜘蛛をこのまま放置しておくのか、いますぐ手元のティッシュ箱を投げつけてその命を奪ってしまうのか。迷い、です。

 人の人生とは選択の連続だ、などと言います。選択の連続とは、つまるところ迷いの連続だという事。今日は何を着て行こうか、朝食は何にしようか、テレビのチャンネルは何チャンネルに合わせようか、些細な迷いは尽きません。さらに就職、結婚、出産、教育、老後、人生における大きな決断を迫られる場面ではさらに迷いは深くなる。

 「迷」という字には「米」という字が入っていますね。かつて百姓の国であった我が国からすれば、稲作、「米」というのは生きることと密着していた。その字が入っているという事は「迷」もまた人生に密着しているということでしょう。

 迷い、惑い、息を止めながら、我々は決断を迫られます。そうした下した決断が正しかったかどうかもわからぬまま、それでも前に進まなければならない。時に理不尽とさえ思えるそんな運命に私たちは翻弄されます。

 「迷い」と「決断」というテーマはそのまま、「生きる」という事に繋がります。

 

 それでは、そんな「迷い」を我々はどう片づければいいのか。

 

 長い間、私はそれを考え続けました。過去の文献を当たり、多くの人々に話を聞き、時に打ちひしがれながらも、先週、ようやくその答えは見つかりました。

 

 そして、その答えは「迷い」そのものにありました。

 

 「迷い」、「まよい」。「まぁよい」。「まぁ良い」。そうなのです!「迷い」は「まぁ良い」なのです!どれだけ深く迷っていても、その結果どんな決断をしても「まぁ良い」なのです。

 「迷い」は「まぁ良い」この答えに行き着いたとき、私は稲妻を受けたような気持になりました。あぁそうか、そういうことだったのか。一気に腑に落ちました。

 

 いまこの文章を書きながら、ふと壁に目をやると先ほどの蜘蛛はどこかへ消えてしまいました。結局、私は明確な決断をすることがなかった。それでも、それもまた、「まぁ良い」なのです。

「緑い」友達との思い出 ~デカビタC~

今週のお題「お気に入りの飲み物」

 小学生のころ、登校班というシステムがあった。交通安全や防犯への配慮から、区分されたエリアごとに班が作られ、1年生から6年生まで全員が集合し登校するという仕組みだ。

 私が属していた登校班で唯一、男で同学年だった奴がいた。彼の名を仮にAとしよう。小学校一年の時は同じクラスだったこともあり、いつの間にかAとは打ち解けた。

 Aは少し間が抜けた男で、ランドセルを忘れて登校しようとしたり、いつ見ても髪がボサボサだったりする奴だった。さらに印象的だったのは、Aは「緑い」とか「紫い」とかいう言葉をよく使っていた。つまり、色を表現する際に「赤い」とか「青い」とかいうのと同じように「緑の野菜」というところを「緑い野菜」と言うのだ。

 そのことに気が付いてから一年か、二年か私は特にそのことに触れることをしなかった。というのも、おそらくAは幼少のころからそのように間違って覚えてしまい、癖になり、間違いとは知りながらも直しきれないのだろうと思ったからだ。そのような間違いを指摘されたら、Aはきっと傷つくだろうと何となくそう思い、私はスルーしていた。

 スルーしていた、のだがあるとき私はついにそのことを指摘した。なんとなく会話の流れの中で「前から思ってたんだけどさ」といった風に言ったと思う。Aは少し苦い顔をして「まぁ、それは言うなよ」とはぐらかすように言った。その時のAの表情を見た刹那、私は「やっぱり触れられたくなかったんだな。」と思い、余計なことを言ったと後悔した。

 後悔と同時に、私は自分自身の嫌な部分を自覚した。つまるところ私はAの間違いを指摘することで、自分が優越感を感じたかっただけなのだ。それを言えば彼がいやな思いをすることをわかっていながら、それを指摘して優越感に浸りたかったのだ。

 その瞬間は、自分で自分の中にある嫌な部分を自覚した最初期の一つであったように思う。

 

 ここからが本題。「お気に入りの飲み物」。

 クラスが同じだった一年生のころは、Aと放課後に遊ぶことも多かった。具体的に何をしていたか、ということはよく覚えていないがまぁ子供らしくごっこ遊びでもしていたのだと思う。

 ある夏の日のことであった。ひとしきり遊んだ後、Aの家の近くにある自動販売機でジュースを買うことになった。少ない小遣いの中から120円を握りしめ、どれを買おうか悩む。コーラにするのか、ファンタにするのか、小学生の私にとって何よりもシリアスな問題だったと思う。

 その時、Aが薦めたのが「デカビタC」であった。当時の私は「デカビタC」とはいわゆる栄養ドリンクで、子供が飲むものではないと思っていた。さらに他の商品はすべてペットボトルや缶なのに、「デカビタC」だけはビン入りだったという事もあり、私の選択肢には一切入っていなかった。

 だから正直、「本当にこれが美味いのか?」と思った。しかし「せっかく薦められたのだからここは乗ろう」と思い、「デカビタC」のボタンを押した。

 取り出し口からデカビタを取る。茶色い瓶、かつてない重みだ。アルミ製のキャップを回す、キリキリキリという音と共に開く。真夏の照り付ける太陽の中、ひんやりと冷えたビンに唇をつけ、液体を流し込む。

 その液体が触れた瞬間、強い炭酸が舌を刺激する。同時に、独特の甘みが口中に広がる。飲み込めば、体が内側からスッと冷える。あぁ、これは、美味い。

  中学を卒業するまで、なんだかんだとAとは顔を合わせることがあった。出会ってからそれまで、9年間でAから学んだこと・得たことは唯一これ、「デカビタC」の美味しさだ。それだけはAに感謝したいと思う。

 

令和ギャグ

キンコンカーンコーン

先生「起立」

先生「気をつけ」

先生「……。」

生徒「令和!?(礼は!?)」

 

目イジ(明治)った大将(大正)への賞は(昭和)平静(平成)を装い、カレーは(令和)いかが?

 

第令和。(第0話)

 

コスプ令和ー。(コスプレイヤー

 

令和ービーム。(レーザービーム)

 

おー令和 ジャイアーン♪

 

全閣僚会議にて。

「新元号は『令和』で決定ということで、よろしいですか?」

「勝手にす令和?(すれば?)」

 

元号サングラス「令和ん」(レイバン

 

「どうせ私なんかブサイクで、嫌われ者で、平成の内に死んだ方が良いんです……。」

「く令和!(暗いわ!)」

「今までずっと何をやってもダメなんです。」

「そんなことない。君はや令和(やれば)できる子だよ。」

「励まして頂いてありがとうございます。」

「いや、令和(礼は)いらない。」

「そ令和(それでは)、新元号ごきげんよう)。」

 

 

お題「どうしても言いたい!」