どこからか「ゴーン」という鐘の音が響いた。いわゆる「ベル」の類ではなく、お寺の境内に吊るされている和形の鐘の音だ。恵子と芳美はリヤカーに死体を乗せながら、その音を聞いていた。夜空にはシリウスが浮かんでいる。
恵子がDVを受けていることを、芳子は少し前から疑っていた。額に絆創膏が貼られていたのが最初だった。芳子がそのわけを尋ねると恵子は「ちょっと、ぶつけちゃって」と笑ったが、明らかにその表情には陰があった。その時はそれ以上追求することはしなかった。しばらくして絆創膏は消えたが、恵子は次第に明るさを失っていった。
夏の暑さが本格的に始まった七月。いつ会っても長袖を着ている恵子を不審に思い、芳子はいよいよ尋ねた。
「恵子、もしかして、もしかしてなんだけど、あなた、旦那に暴力振るわれたりしてない?」
恵子は一瞬びくっと体を震わせて、顔を伏せたまま答えた。
「……そんなこと、ないよ。仲良くやってる。」
「それなら良いんだけど。もし、なんかあったら言ってよ?相談乗るから。」
「ありがとう。私、頼れるの芳子だけだから、うれしい。」
そう言って少しだけ恵子は笑った。それから暫く雑談をして、その日は別れた。普段は月に二、三度はお茶をする仲の二人だったが、それから二月(ふたつき)ばかり会う機会がなかった。それというのも、芳子は田舎の母が骨折したと連絡を受け、実家のある大分で看病をしていたのだ。幸い、後に残るような大きな怪我には至らなかったのだが日常生活ができるようになるまでは手伝いが必要だった。
芳子が大分から帰宅し、風呂の準備をしていた時に携帯のベルがなった。恵子からであった。大分にいる間も恵子の事はずっと気にかかっていた。少し不安な気持ちを抱えながら、電話に出る。
「もしもし?ちょうどいま帰ってきたところなの。」
返答はない。ただならぬものを感じて芳子の不安は膨れ上がる。
「どうしたの?もしもし、大丈夫?恵子?」
口調を強め、呼びかける。
「もしもし?恵子?」
「……あたし、殺しちゃった。」
「えっ?何言ってるの?恵子?」
頭が真っ白になる。
「あたし、正雄さんを殺しちゃった。」
恵子は繰り返す。芳子は何も言えない。静寂が流れる。どこからか、鐘の音が聞こえる。