徒然なるままに~人生三角折主義~

あくびしてる猫の口に指突っ込むときくらいの軽い気持ちで見てください。

当たるモハッケ、当たらぬモハッケ

 「当たるモハッケ、当たらぬモハッケ」という言葉がある。この「モハッケ」とは何だろうか。ものの本によると、「アアタにアンダとパーニィを混ぜ、刻んだゴウビィとスアルカァマスと共に焼いたもの」とある。

 さらに詳しく調べると特に西部で盛んに見られた文化で、その伝統は古く、起源は17C末にまで遡るという。正確な発祥地を特定することは難しく、複数の土地で同時期に考案されたと考えられている。

 そのうち代表的な人物がヤァ・チャバルカキット・ヴィングである。街の片隅で八百屋を営んでいた彼女は、ある偶然によってモハッケを開発した。

ある日のこと、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングが働く八百屋に旅の者が現れた。長旅の果てに、食べるものもなくこの街に行き着いたというこの旅人はひどく腹を空かしていた。しかしヤァ・チャバルカキット・ヴィングは貧しく、食糧庫にはアアタとスアルカァマス、一つのアンダそして売れ残りのゴウヴィしかなかった。そこでヤァ・チャバルカキット・ヴィングはこの材料を活用し一品の料理、のちのモハッケを作ったのだ。旅人はこのような食べ物はどこの国でも食べたことがない、と言い、とても喜んだ。これを契機にヤァ・チャバルカキット・ヴィングはモハッケを提供する飲食店をはじめた。この新しい食べ物は人々の心をとらえ、店は大繁盛。一代にして莫大な富を気づいたと言われる。

実はここに「当たるモハッケ、当たらぬモハッケ」という言葉の由来がある。

 時を同じくして、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングの住む町から西に二十里、サムドゥルダット・スンダルタ・レヘルという女が住んでいたという。偶然にも、彼女もまた八百屋を営んでおり、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングと同じように貧しかった。そしてこれもまた同じように彼女のもとに旅人が現れ、そして同じように、彼女は僅かな食糧からモハッケをふるまった。旅人は喜び、街を去った。そしてヤァ・チャバルカキット・ヴィング同様、サムドゥルダット・スンダルタ・レヘルはモハッケ屋を始める。しかし、ここから話が変わってくる。レヘルがモハッケ屋を開店してまもなく、この街ではゴウヴィを用いたもう一つの料理、アナンタ・ゴウヴィが空前のブームを起こした。そのため、モハッケに必要なゴウヴィが手に入らなくなってしまったのだ。かくして、レヘルのモハッケ屋は閉店に追い込まれた。

 全くと言っていいほど共通したシチュエーションで、それぞれに独立して生まれたモハッケ。しかし一方は成功をおさめ、一方は失敗に終わった。このことから「当たるモハッケ、当たらぬモハッケ」という言葉が生まれたのだ。最後に、ヤァ・チャバルカキット・ヴィングが晩年に残したある言葉を示しておこう。

 「人生において嫌でも前を向かなければならないとき、一枚のモハッケが道を照らすだろう。戦うのだ。モハッケよい。」(ヤァ・チャバルカキット・ヴィング)