エロと媒体
妙にコンビニのエロ本に惹かれるのは私だけであろうか。
コンビニの雑誌コーナーにある女子アナのパンチラ等を集めたしょうもない雑誌がある。時折、アレに惹かれることがある。2ちゃんまとめ系サイトでも見ればそんなものは金を出さずともいくらでも見れることを私は知っている。
しかし、それに惹かれる。理性でわかっていても本能に近い部分でそれを欲している。
インターネットが普及し、簡単にアダルティなものが閲覧できるようになった近年。
ジャンルの幅も広く質の良いエロが無料でインターネット上に氾濫している。
にも関わらず、どうしてか私はコンビニのエロ本に心惹かれる。なぜだろう。
私はそこにエロを媒介する媒体に理由があるのではないかと考えた。
つまり、エロを運ぶ媒体がインターネット(PC)というデジタルなものか、あるいはエロ本のような、紙のアナログなものかによって、同じエロであっても感じ方が違うのではないかということである。
いくらでも自分の好みなエロをデジタルな機器によって手に入れることができるようになった今。私の脳みそが求めたのはアナログ媒体によるエロなのだと思うのだ。
もっと単純に言えば、常に人間は変化を欲している。それはエロにおいてもそうだ。私はインターネット上でアダルト動画、アダルト画像、グラビア画像、イメージビデオ、官能小説、体験談、アイコラ、ライブチャットなど様々なエロを見てきた。時には課金することさえ厭わず。
様々なエロを見巡ってきた私の脳みそはもうデジタルの上では新鮮な刺激が得られなかったのではないかと思うのである。
そこで私の脳みそは媒体に注目したのだ。たとえ本質は同じでも、媒体が変わることで新鮮な刺激を感じ取れる、そう思った。きっと。
だから私はコンビニのエロ雑誌に心惹かれるのだ。