徒然なるままに~人生三角折主義~

あくびしてる猫の口に指突っ込むときくらいの軽い気持ちで見てください。

伝聞のHORROR~吉永から聞いた話①~

今週のお題「ゾクッとする話」

7月28日(火)

日米安保問題について言及しようと思い、ブログ作成の画面を開いたところ「今週のお題」なるものの存在を知った。

せっかくなので今週のお題「ゾクッとする話」について書こうと思う。安保問題についてはまた、近い内に…。

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これは私の友人の吉永がから聞いた話である。

時は1990年。大正製薬が「ナロンエース」を発売したのと同時期に吉永は生まれた。母の産道をくぐりぬけてきた彼はまだ輪郭さえつかむことのできない瞳を新生児室の天井に向けながらベッドの上に横たわっていた。

そんな吉永にこの世の常識では考えられない不可解な現象が起こったのは、彼がぼんやりした意識の中で「生誕」という人生において5本の指に入るであろうビッグイベントを終えた達成感に浸っていた時のことである。

《吉永》

新生児室という名がついているだけあって、吉永の周りには20ほどの新生児用のベッドがあった。もちろんその一つ一つにはつい数刻前に生まれたばかりの赤ん坊が寝かされている。

寝かされているといっても眠っている者はごく一部で、大半は90dBはあろうかという大声で泣き声を競っている。それがこの世に生を受けたことへの喜びの声なのか、あるいは悲しみの声なのか。彼等と同じだけしかこの星の空気を吸っていない私には見当もつかなかった。

そんな状況下でも冷静に今自分に起こった出来事を反芻できているのはおそらく父からの遺伝だろうと思う。私の父が藍幸大学の教授であることを腹の中で聞いた覚えがある。

そんな父がなぜ母の様な人と苗字を重ねたのか私には理解できない。母は私を腹の中に携えたまま新装開店の列に並ぶほどのパチンコ好き、いやパチンコ狂いである。髪は地味な顔立ちに到底似合っているとは言えない金色。全身にピンクの衣服をまとった状態がスタンダードの彼女は到底父には似つかわしくなかった。

(もちろんそれらの情報は下界からの会話や生活音から推察して構築したもので私が直接  目にしたものではない。)

そこにどんな事情があるのか、気にならないことはないが声を発することも身体を充分に動かすこともできない私にはどうすることもできない。

とにかく今は母の羊水以外の物質に触れられる喜びと、人生で最初の大舞台を無事に終えることのできた安堵感にだけ浸っていたいと思う…。

 

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次の仕事が差し迫っているので本日はここまで。

次回、起承転結の承。ご期待あれ。