迷い迷ってこんにちは。「迷い」に隠された意外な真実をここに。
今、私の目の前には壁に張り付いた一匹の蜘蛛がおります。その蜘蛛をこのまま放置しておくのか、いますぐ手元のティッシュ箱を投げつけてその命を奪ってしまうのか。迷い、です。
人の人生とは選択の連続だ、などと言います。選択の連続とは、つまるところ迷いの連続だという事。今日は何を着て行こうか、朝食は何にしようか、テレビのチャンネルは何チャンネルに合わせようか、些細な迷いは尽きません。さらに就職、結婚、出産、教育、老後、人生における大きな決断を迫られる場面ではさらに迷いは深くなる。
「迷」という字には「米」という字が入っていますね。かつて百姓の国であった我が国からすれば、稲作、「米」というのは生きることと密着していた。その字が入っているという事は「迷」もまた人生に密着しているということでしょう。
迷い、惑い、息を止めながら、我々は決断を迫られます。そうした下した決断が正しかったかどうかもわからぬまま、それでも前に進まなければならない。時に理不尽とさえ思えるそんな運命に私たちは翻弄されます。
「迷い」と「決断」というテーマはそのまま、「生きる」という事に繋がります。
それでは、そんな「迷い」を我々はどう片づければいいのか。
長い間、私はそれを考え続けました。過去の文献を当たり、多くの人々に話を聞き、時に打ちひしがれながらも、先週、ようやくその答えは見つかりました。
そして、その答えは「迷い」そのものにありました。
「迷い」、「まよい」。「まぁよい」。「まぁ良い」。そうなのです!「迷い」は「まぁ良い」なのです!どれだけ深く迷っていても、その結果どんな決断をしても「まぁ良い」なのです。
「迷い」は「まぁ良い」この答えに行き着いたとき、私は稲妻を受けたような気持になりました。あぁそうか、そういうことだったのか。一気に腑に落ちました。
いまこの文章を書きながら、ふと壁に目をやると先ほどの蜘蛛はどこかへ消えてしまいました。結局、私は明確な決断をすることがなかった。それでも、それもまた、「まぁ良い」なのです。
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