徒然なるままに~人生三角折主義~

あくびしてる猫の口に指突っ込むときくらいの軽い気持ちで見てください。

「緑い」友達との思い出 ~デカビタC~

今週のお題「お気に入りの飲み物」

 小学生のころ、登校班というシステムがあった。交通安全や防犯への配慮から、区分されたエリアごとに班が作られ、1年生から6年生まで全員が集合し登校するという仕組みだ。

 私が属していた登校班で唯一、男で同学年だった奴がいた。彼の名を仮にAとしよう。小学校一年の時は同じクラスだったこともあり、いつの間にかAとは打ち解けた。

 Aは少し間が抜けた男で、ランドセルを忘れて登校しようとしたり、いつ見ても髪がボサボサだったりする奴だった。さらに印象的だったのは、Aは「緑い」とか「紫い」とかいう言葉をよく使っていた。つまり、色を表現する際に「赤い」とか「青い」とかいうのと同じように「緑の野菜」というところを「緑い野菜」と言うのだ。

 そのことに気が付いてから一年か、二年か私は特にそのことに触れることをしなかった。というのも、おそらくAは幼少のころからそのように間違って覚えてしまい、癖になり、間違いとは知りながらも直しきれないのだろうと思ったからだ。そのような間違いを指摘されたら、Aはきっと傷つくだろうと何となくそう思い、私はスルーしていた。

 スルーしていた、のだがあるとき私はついにそのことを指摘した。なんとなく会話の流れの中で「前から思ってたんだけどさ」といった風に言ったと思う。Aは少し苦い顔をして「まぁ、それは言うなよ」とはぐらかすように言った。その時のAの表情を見た刹那、私は「やっぱり触れられたくなかったんだな。」と思い、余計なことを言ったと後悔した。

 後悔と同時に、私は自分自身の嫌な部分を自覚した。つまるところ私はAの間違いを指摘することで、自分が優越感を感じたかっただけなのだ。それを言えば彼がいやな思いをすることをわかっていながら、それを指摘して優越感に浸りたかったのだ。

 その瞬間は、自分で自分の中にある嫌な部分を自覚した最初期の一つであったように思う。

 

 ここからが本題。「お気に入りの飲み物」。

 クラスが同じだった一年生のころは、Aと放課後に遊ぶことも多かった。具体的に何をしていたか、ということはよく覚えていないがまぁ子供らしくごっこ遊びでもしていたのだと思う。

 ある夏の日のことであった。ひとしきり遊んだ後、Aの家の近くにある自動販売機でジュースを買うことになった。少ない小遣いの中から120円を握りしめ、どれを買おうか悩む。コーラにするのか、ファンタにするのか、小学生の私にとって何よりもシリアスな問題だったと思う。

 その時、Aが薦めたのが「デカビタC」であった。当時の私は「デカビタC」とはいわゆる栄養ドリンクで、子供が飲むものではないと思っていた。さらに他の商品はすべてペットボトルや缶なのに、「デカビタC」だけはビン入りだったという事もあり、私の選択肢には一切入っていなかった。

 だから正直、「本当にこれが美味いのか?」と思った。しかし「せっかく薦められたのだからここは乗ろう」と思い、「デカビタC」のボタンを押した。

 取り出し口からデカビタを取る。茶色い瓶、かつてない重みだ。アルミ製のキャップを回す、キリキリキリという音と共に開く。真夏の照り付ける太陽の中、ひんやりと冷えたビンに唇をつけ、液体を流し込む。

 その液体が触れた瞬間、強い炭酸が舌を刺激する。同時に、独特の甘みが口中に広がる。飲み込めば、体が内側からスッと冷える。あぁ、これは、美味い。

  中学を卒業するまで、なんだかんだとAとは顔を合わせることがあった。出会ってからそれまで、9年間でAから学んだこと・得たことは唯一これ、「デカビタC」の美味しさだ。それだけはAに感謝したいと思う。