徒然なるままに~人生三角折主義~

あくびしてる猫の口に指突っ込むときくらいの軽い気持ちで見てください。

変身 -みかん偏-

 ある朝、 座無座がいやらしい夢から覚めると、自分の姿がオレンジ色のミカンになっていることに気づいた。ベッドからはみ出さんばかりの大きなミカンになった我が体を見て、座無座は非常に驚いた。

 座無座はなんとかベッドからおりようとしたが、その形から言ってあまりに安定してしまい、なかなか動くことができない。それでも懸命に体を揺らしているとベッドから落ちてしまった。すると地面に置いていた木箱の角が思いきり体の側面に刺さった。オレンジ色の皮が突き破られ、ぷしゅっと汁が舞う。柑橘系の香りがぱっと広がる。同時に鈍い痛みがそこを刺激する。

 座無座は己の不運を呪った。なぜ自分がこんな爽やかな果実になってしまったのか。不条理を呪った。

 「お兄ちゃん、ごはんよ。」

 その時、階段を駆け上がる妹の声が聞こえた。座無座は何とかこの巨大ミカンが自分であると気づいてもらいたかった。しかし、ミカンの体では声を発することはできなかった。

 「お兄ちゃん?」

 妹が部屋の扉を開け、こちらに向かってくる。彼女は私の姿を見たとたん、「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。

「なんて大きなミカンなの!私、こんなに大きなミカンは見たことがないわ。……それに、お兄ちゃんはどこへ行ってしまったのかしら。」

 妹はそうつぶやくと部屋を出て行ってしまった。座無座は落胆した。一般論から言って人間が寝ている間にミカンになるとは考え難い。妹を責めることはできない。

 さて、どうしたものか。座無座が思案に暮れていると、からだの一部がどうもムズムズとする。体の中で何かが動いているような感覚があった。その時、座無座は気が付いた。先ほど木箱の角に傷つけられた部分からのぞく鮮やかなオレンジの中に、白く蠢くものがあった。寄生虫だ。白い芋虫状の寄生虫がむぐむぐと蠢いている。座無座は絶叫した。しかし、不運にも彼の体はミカンであったためその絶叫が空気を震わせることはなかった。

 寄生虫は傷口から這い出してきた。座無座はこれほどの嫌悪感を感じたことはなかった。

 しばらくの間、茫然としていた。現実に起こっていることに精神が全く追い付いていなかった。いつのまにか寄生虫はどこかへ消えた。消えたと言ってもそれほど速くは動けないはずで、視界から外れたということに過ぎない。

 「ほら、ちょっと来て!こっちよ!」

 その時であった。妹の声が再び階下から聞こえてきた。どうやら人を連れてきたらしい。

 「なんだね。そんなに急いで。座無座の部屋に何があるっていうんだ?」

 父の声であった。妹は巨大ミカンの発見を父に報告しようとしているのだ。

「見て!ほら、ここよ。こんなに大きなミカン!パパ、見たことある?」

「おぉ、これは……。大した大きさだ。この大きさだとこの部屋の扉を入らないだろう。なぜこんなところにこんなものが?」

 父の疑問はもっともであった。座無座は今こそ声を出して、この巨大ミカンこそが私だ!と主張したかった。

「座無座が消え、この大きなミカンだけがベッドの上にある。まさか、このミカンが座無座なのではないか?」

 その通りであった。しかしそれは余りにも日常から乖離した現象である。父はその考えを早々に打ち消してしまった。

「……いや人間が果物に姿を変えるなどとは考えられない。そんな空想をするとは私も焼きが回ったかな。」

「ねぇ、皮を剥いてみましょうよ。」

 妹はそう言いながら硬く固めた手刀を座無座の体に突き立てた。そうしてそこからぐいぐいと皮をむき始めた。痛みはなかった。どうやら皮は服のようなものらしい。

「うむ……。中身も完全にミカンだな。」

 父がつぶやく。

「せっかくだから、食べてみましょう。」

 妹は房の一部を力ずくで破り、その中の袋を一つちぎりとった。瞬間的に鋭い痛みが走る。普通ではとても小さいその袋であるが、座無座サイズになると拳ほどの大きさもある。

「おい、よしなさい!」

「平気よ。ちょっとだけ。」

 父の制止を無視して、妹はそれにかぶりついた。袋が弾け、果汁が飛ぶ。妹はそれを啜った。

「ううっ…。うっ!ごぼれぇっ!」

その瞬間、妹は白目を剥きうめき声をあげ、胃の中のものをすべて吐き出した。そしてそのまま床に倒れこんだ。

「おい!大丈夫か!」

 父がすぐに妹を抱き上げた。妹の意識は朦朧としている。父はそのまま妹を連れ出していった。少しして車のエンジンがかかり遠のく音が聞こえた。医者へ連れていったのだろう。

 座無座は辛い気持ちでいっぱいだった。

(私の体の一部を食べて、もしも彼女が死んだら、それは私が殺したも同然だ。) 

 座無座は改めてミカンとなった我が体を憎んだ。いや、自分自身を憎んだ。座無座は自決することを決心した。

 座無座は動かない体を懸命に揺らし、時間をかけて少しずつ動いた。そうして部屋から出て、階段を転がり落ちた。若干の外傷は生まれたが死にはいたらなかった。そこで座無座はさらに体を揺らし揺らし、開け放されたままの扉から外に出た。

 すると、そこら中から真っ黒な翼をはためかせカラスが集まってきた。数羽のカラスが座無座の体をついばむ。大小の痛みが絶えず座無座を襲った。それが数十分も続いた後で座無座は死んだ。あとにはミカンの残骸が残っただけであった。

お題「今日の出来事」